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その昔より東京で行われ、いまでも江戸の伝統を踏襲し続けている「江戸刺繍」。

京都の京縫い、金沢の加賀縫いとある様に、その土地独特の刺繍がある中で、 「江戸刺繍」は空間を楽しむ“すっきりとした構図”と“押さえ気味の色”を特徴とし、 高度な技術を継承しています。

日本刺繍の歴史

日本の刺繍は飛鳥時代、中国から仏教と共に、刺繍による仏像「繍仏」が伝えられたことに始まります。

607年、推古天皇の御代に、小野妹子が随に派遣されて以来、何度も大陸へ、多くの先人達が渡りました。その中に、第八回の遣唐使として22才で中国に渡り、18年間留学し、法律、天文、暦法、建築、音楽、兵法などを学んで帰国、後に儒者にして大臣となった孫子の兵法で知られる吉備真備がおりました。備中の国・岡山に誕生した真備は、後世に多くのものを残しましたが、刺繍を日本に持ち帰ったと言われています。『故事類苑』によりますと「繍仏師、諸々の衣装、その他織物に、さまざまの糸をもって模様を縫い表す。(中略)吉備真備、入唐の時、相伝して来れりとかや、織物師の元祖と仰ぐなり。」とあります。

私の所属している東京刺繍協同組合は86年の歴史があり、毎年秋には神田明神で、吉備真備を祖神と仰ぐ「吉備祭」を行っています。毎月各支部ごとに集まって会合をしていますが、この吉備祭は全支部が集まってお参りするのが習わしです。

刺繍は「刺」と言う針で縫うことを意味する文字と、「繍」と言う色糸で紋様を縫い表すことを意味する文字からもわかる様に、針と糸を使って紋様を施す手芸で、装飾の技法としては染織や織物に先立つものと言えます。古代より世界各地で行われており、フランス刺繍、中国刺繍、スウェーデン刺繍など、発生各地で呼ばれています。

現存する最古の刺繍は奈良の中宮寺に伝わる国宝「天寿国曼荼羅 繍帳」で聖徳太子の死を悼んで采女が推古天皇勅命により製作したと伝えられています。また、京都府山科の勧修寺には勧修寺繍仏とも呼ばれている刺繍の大作「釈迦如来説法図」(国宝、横158×縦208cm)が残されています。仏画に比べ現存するものは少ないが、その他、石川県七尾市の西念寺には「刺繍阿弥陀三尊像」(鎌倉時代)が、京都の真如堂には、天平時代に製作された奈良の当麻寺に同じ仏画があることから当麻曼荼羅と呼ばれている「観経曼荼羅」が残されています(江戸中期)。いずれも洗練された感性と高度な技術を駆使し、絵画では表現できない重厚華麗な世界を作り出しています。

平安京に都が移り、公家、王朝文化が花開くなかで着物にも刺繍が行われ、男性の束帯や女性の十二単にその華やかさを競うようになり、日本独自の技法が確立されてきます。

室町時代から桃山時代には、「摺箔」と言う模様の部分を金箔銀箔で表したものや、「縫箔」と言う金箔銀箔を縫いつけたものなど、絢爛豪華な桃山慶長模様を生み出しました。また、ほんの一時期登場し、江戸時代に入ると忽然と姿を消した「辻が花」染めもこの頃のものです。

江戸時代に入り徐々に、商業の発達で経済力をつけた町人が台頭してきます。文化の中心は貴族や武士から町人に移行していき、元禄の頃には、それまでの抑圧をはね除けるかの様に、浮世絵、歌舞伎、人形浄瑠璃など、町人文化が一斉に噴き出してきます。商人はその財力で、贅を尽くしたものを求める様になり、幕府は度々贅沢を禁止する奢侈禁止令を出し、着物では金紗、刺繍、総絞りが禁じられました。その後も度々出された奢侈禁止令のなかで江戸町人の美意識から生まれた「粋」、「渋好み」や遠目には無地に見える細かい型彫りによる小紋柄など江戸好みになるなかで、ご禁制の派手色の絹の襦袢を着たり、裏地など見えないところに凝る「底至り」など、創意工夫が見られる様になって行きました。

江戸時代末期に一時沈滞していた染織界も、明治時代には日本画家に下絵を依頼するなど、窮地を打破し、芸術性の高い絵画的なものへと新たな軌跡を残し、現在の基礎が作られていきます。

掛軸 先代・竹内平 作/大正時代
掛軸 先代・竹内平 作/大正時代

明治に入り、従来の手描友禅や天然染料による型染では表現し得なかった、新たな友禅染「写し糊」が、大阪の堀川新三郎によって考案されました。しかし、モスリンには色鮮やかに発色した写し友禅も、縮緬地には難しく、それを京都屈指の老舗「千總」の専属挿職人である広瀬治助が、堀川新三郎に教えを請い、自らも研究を重ねて、1881年に縮緬地への写し友禅を成功させます。それに刺繍・金箔の華飾が加えられて、一層雅なものとなりました。アールヌーヴォーなどの洋風の意匠も友禅染や刺繍で美しく表現し、新しい時代の風俗を形成しました。

過去の寄稿より引用『季刊TKS 2004年1月』

江戸刺繍について

刺繍も呉服全般から額・掛け軸、旗や緞帳・化粧まわしといった大物、家紋などの小さな縫い紋屋さんと、大きく3つに分かれています。私は呉服全般の刺繍をしていますが、そのことを簡単に書いてみます。

刺繍の行程

  1. 布地を見て、用途を考え、図柄、色合いなど全体の構想を練る。
  2. 模様・図案の作成や刺繍する位置を決める
  3. 図柄を布地に胡粉等で描く
  4. 作業台に布地を張り、図柄に合った技法、糸、針を決め刺繍をする
  5. 仕上げに裏面からのりをつけ、表に返して軽くアイロンを当てる
駒縫と菅縫の組み合わせで立体感を出した作品。光の方向で表情が変わる/平成5年
駒縫と菅縫の組み合わせで立体感を出した作品。光の方向で表情が変わる/平成5年

刺繍の技法

縫いを大きく分けると、友禅染など絵柄がある上に刺繍を施す「あしらい縫」と、刺繍で図柄を描く「素縫」があります。技法としては、点を表現する「芥子縫」「相良縫」線を表現する「まつい縫」「駒取り縫」「鎖縫」、面を表現する「縫い切」「割縫」「刺し縫」「菅縫」「引疋田縫」などの基本技法がありますが、これらを応用した技法を入れると100種以上に及びます。

縫いで大切なことは、1回で刺し1回で抜くことと、糸の撚りが解けないように縫うことですが、これは針の持ち方一つにかかってきます。

(上)糸縫、(下)駒縫
(上)糸縫、(下)駒縫

刺繍糸

材料使用する原材料は絹糸。撚っていない状態の糸を平糸あるいは釜糸と呼び、通常1本の糸が12スガに別れており、それを撚って使いますが、各々縫うものに合わせて糸の本数も変わってきます。また、本金糸は純度の高い金箔を和紙に延ばし、細く裁断し、芯の絹糸に巻き付けたもので、芯の太さによって金糸の太さも変わってきます。

糸撚りをしているところ
糸撚りをしているところ

鍍金技術の発達と共に安価な糸も出回り、江戸時代から紛金、紛銀も使用されています。昭和も戦後になって製糸方法も変わり「ソフト金・銀」等が出てきて、金属凝着技術により艶が良く変色しにくく安価な糸を生み出し、特に銀糸は旧来の本銀糸の焼けを克服したことで、用途は一段と拡大しました。その他、鎌倉、室町時代から使用されていた漆糸があり、その渋さが好まれていましたが、現代ではあまり使われておりません。

刺繍針

針の種類は多く15種類もあり、一般の縫針に比べ短いのが特徴で、縫うものに合わせて針も使い分けます。手づくりの刺繍針でないと具合が悪いのですが、今では入手が困難になってきています。関東針は皆無となり、もっぱら広島県の関西針を使っています。機械づくりとの大きな違いは針のメドの形にあります。手づくりのメドは平たく、円に近いのですが、機械づくりのメドは細長く、糸通しも容易でなく、通した糸が痛み易いのです。

日本刺繍の針、一番下は木綿針
日本刺繍の針、一番下は木綿針

道具のこと

私は職人が使う道具は自分で作るものだと思っています。刺繍の道具にしても昔は自分で工夫して作ったものです。私事の話になりますが、家内は私と同じ下町生まれですが33年前、二条城近くの五代続いた刺繍屋さんに入りました。昔気質の家だったようですから、そこで刺繍の修業をしたと言ってもいいでしょう。その時使っていた道具の話を後で聞き、京都まで行ったことがありました。

糸は手で撚るもだと思っていましたが、そこでは大量に使う時には自転車を利用しており、車輪の中心に回す棒を取り付け、ぐるぐる回して糸を撚っていました。帰ってから、自分なりに考えて知り合いの宮大工に作ってもらいましたが、今でも重宝して使っております。東京でも似たようなものが1、2台あると聞いていますが皆各々が使い易い様に工夫して作っているようです。

(左)糸撚り機。撚り糸を大量に使う時に使う。 (中)糸屋からカセ糸(クリ糸)で購入したものを使い易くするため、紙クダに巻き取る前にカセ糸を掛ける道具。 (右)カセ糸からクダに巻きとるために使う。中と右はセットで使う。 (後)小さいものを縫う時に使う角枠。 (前)電気スタンドが無い頃の照明器具
(左)糸撚り機。撚り糸を大量に使う時に使う。 (中)糸屋からカセ糸(クリ糸)で購入したものを使い易くするため、紙クダに巻き取る前にカセ糸を掛ける道具。 (右)カセ糸からクダに巻きとるために使う。中と右はセットで使う。 (後)小さいものを縫う時に使う角枠。 (前)電気スタンドが無い頃の照明器具。

過去のインタビューより引用 『季刊TKS 2004年1月』

職人ということ

昔から一枚の着物を仕上げるにも各々専属の職人が分業でつくっていましたので、今ではほとんど居なくなってしまいましたが「悉皆屋」という、言わば全工程をプロデュースする職業の人がおりました。刺繍する前の友禅の反物を持って家に届けにくるのですが、陽のある内に来てくれることを願っていても全工程の職方を廻って最後に来るのが刺繍屋なので、どうしても夕方か夜になります。構想を練って糸の色を決めるのに時間がかかりますが、自然光でないと糸は決められないので、その日は仕事にかかれません。仕事が流れ始めると急ぎになります。職人は急がせたら良いものは作れませんから、もっと時間に余裕をもってくれたらと良く思ったものです。でも必ず間に合わせるのも職人の腕です。本当に時間との戦いですが、それが信用と言うもので、その繰り返しで腕は磨かれていくものだと思います。

振袖に流水の部分を組紐縫、桜の部分は糸縫いと金駒縫(部分)/昭和55年
振袖に流水の部分を組紐縫、桜の部分は糸縫いと金駒縫(部分)/昭和55年

刺繍は親の代からの家業で、特別好きだったからやっているというのではなく、自然にこうなって来たものです。よく、どうしてこの道に入られたのですかと聞かれます。以前は返答に困りましたが、この頃は好きでやっている訳でも無いけれど、嫌いでは無いと言える様になりました。何にでも興味を持つ性格は早くからあって、今もなお続いていますから、この職業には向いていたのかも知れません。

私は長年趣味で熱帯魚などの魚と盆栽をやっていますが、10年程前こんなことがありました。魚がそわそわしてきて、こちらを見なくなったのです。魚を後ろから見ると白っぽく見えたので、水道の水を入れた洗面器に、その魚を入れて見ていたら米粒くらいの白いものが無数に魚から出てきました。虫メガネで見たら白いものの正体は寄生虫の死骸だったのです。淡水でも短い時間なら魚は大丈夫で寄生虫は駄目だったと言う訳です。魚をもとの水槽に戻し一件落着です。長いことやっていると何かとあるものです。言ってみれば、魚は見ていることですし、盆栽は枯らさないことです。そして、刺繍は「もう一針」が成るかどうかの境のように思います。

7年前から自宅で後継者育成の為に教室を開いていますが、刺繍科卒業の皆さんは私より多くの縫い方を知っています。教えてもらったこともありましたが、初めての縫い方でも上手く出来るので、これが身に付くと言うことなのかな、職人と言うことなのかなと思います。

職人と言えば、食べ物屋さんで自分の作ったものの味が気に入らなかったら帰ってもらって結構などと、いかにも職人らし気に言う料理人がいますが、これは少し違うような気がします。私は、相手の要望に合わせて何でもやってみようと考えています。出来ないことはないですし、それが出来ることが本当の職人だと思うからです。また、型にはまったものからではなく自分の中から出てくるものもやっています。それが、お客様にとっても嬉しいことではないかと思います。

色留袖に鶴を刺繍/昭和50年
色留袖に鶴を刺繍/昭和50年

私は心の持ち方を言いたいと思います。好きも嫌いも、自分と相手の仲を取り持ちながら物をつくることが原点と考えます。ですから、身に付ける人が自分に合ったものを作りたいときには、直接職人さんに頼むことをお勧めします。ああでもない、こうでもないと言いながら自分の要望も伝わって、本当のお洒落を楽しめると思います。昔はそういう状況がありました。戦前の、着物にあまり贅沢をしてはいけないという風潮があった頃、半襟にせめてものお洒落をしようと思ったのでしょうか、私の所では随分と半襟に刺繍をしていた様です。他県に住む職人さんへ行李に入れて送っていた程と聞いています。今では再現するには時間も費用もかかりそうな、すばらしい図案ばかりで、職人として頭の下がる思いですが、お洒落とは贅沢とはを考えさせられます。しかし、戦後から大量生産の高度成長期にかけて売り手の考えで物を作ってきたことから似たり寄ったりのものが多くなり、残念なことに日本人が本来持っていた生活全般の美意識や価値観が変わってしまったようです。そして今また、昔に戻る傾向にあるように思います

タペストリー/平成10年
タペストリー/平成10年

刺繍のこれから

昭和62年に東京都伝統工芸の一つとして日本刺繍が認定され、東京で行われている刺繍は、江戸の伝統を踏襲していることから「江戸刺繍」と命名されました。京都の京縫い、金沢の加賀縫いとある様に、その土地独特の刺繍がありますが、江戸刺繍は空間を楽しむ、すっきりとした構図と押さえ気味の色を特徴とし、高度な技術を継承しています。

その伝統の中に自分の技術を生かし、現代に通じるものを追求して、日本刺繍に興味を持っている人だけではなく、着物を着ない人や、刺繍を着物以外のもので見たことのない人にまで広げていかなければ、素晴らしい日本の伝統工芸が多くの人に継承されなくなってしまい、いずれは消えてしまいます。

(左)刺繍によるペンダント、ブローチ、帯留め(表面は水晶)/平成7年 (右)革製バッグ、刺繍部分は帯地/平成7年
(左)刺繍によるペンダント、ブローチ、帯留め(表面は水晶)/平成7年 (右)革製バッグ、刺繍部分は帯地/平成7年

室内装飾品や服飾品の中に日本刺繍が表されて、より多くの人々に知ってもらうことも大事なことです。特に子供達には本物の絹糸のつやなど、折に触れ、手でさわって見てもらっています。

東京の刺繍の組合員は、平成15年には47人になってしまいましたが、伝統に少しでも関わって行ける自分の職業に責任を持って、江戸刺繍を一人でも多くの人に知ってもらい継承して行くために一歩ずつ歩み続けようと、心から思っています。

(左)図案から型紙を彫り、胡粉を布地に刷り込んで写す (右)原画を線描きした図案
(左)図案から型紙を彫り、胡粉を布地に刷り込んで写す (右)原画を線描きした図案
半襟の原画
半襟の原画

過去のインタビューより引用 『季刊TKS 2004年1月』

プロフィール

竹内 功

Isao Takeuchi Japanese Traditional Embroidery Tokyo's Authorized Traditional Artisan

竹内 功

たけうち いさお

1912年 父 竹内平が台東区根岸にて竹内刺繍所を創業
1928年 東京都足立区千住に移転
1944年 竹内平の長男として誕生 日大一中、日大一高へ進学
1966年 日本大学法学部政治経済学科卒業と同時に竹内刺繍所に入社 大手老舗呉服問屋の第一礼装の仕事に従事 大手百貨店にて日本刺繍の実演
1971年 結婚、娘2人
1992年 東京都刺繍協同組理事就任
1998年 東京都江戸刺繍伝統工芸士に認定
2010年 東京都刺繍協同組専務理事就任
2017年 東京都優秀技能者「東京マイスター」に認定
2018年 東日本伝統工芸展入選 東京都刺繍協同組理事長就任
2019年 東日本伝統工芸展入選 卓越した技能者(現代の名工)に認定

日本刺繍の代表格の一つ 【江戸刺繍】 その伝統的な“美”と“技術”の発信に 日々取り組んでいます

作品の紹介

帯や着物、和装小物から、インテリアまで幅広いアイテムを制作。多彩な技術を精緻な刺繍で表現し、伝統的な手法での新たな表現にも取り組んでいます。

商標登録 特許5902864〈文駒繍〉

駒繍い
駒繍い
匹田繍
匹田繍
古典柄
古典柄

活動・実績

日本の伝統工芸品の美を発信、技術の継承を行っています。作品制作、製品への刺繍加飾のほか、イベントでの技術の公開など。東京を中心に年に数回、全国の三越伊勢丹グループの呉服売り場などでは、実演販売を行っています。

メディア掲載

日本大学校友会会報誌「桜緑」

SECOM Life 2015 新年号

TV等出演

  • 2020.05.26イッピン「さりげなく”粋”に ~東京 小紋・刺繍・浮世絵~」(NHK-BSプレミアム)
  • 2019.10.05出没!アド街ック天国(テレビ東京)
  • 2014.04.10和風総本家 密着!東京下町24時 2014春(テレビ東京)
  • 2009.06.18あなたが主役 50ボイス(NHK)
  • 2007.03.07くにまるワイド ごぜんさま 日本の匠(文化放送)
  • 2003.12.20ぶらり途中下車の旅(日本テレビ)
  • 2000.04.08晴れたらイイねッ! 路地裏道路(フジテレビ)
  • 1997.07.25ズームイン朝!「こだわりの逸品」(日本テレビ)

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